2009年5月 8日 (金)

直感的に感じる違和感 「日本はもう立ち直れない」 だから「海外で働こう」に賛否両論

5月4日付J-CASTニュースに、こんなタイトルの記事が出ている。

「日本はもう立ち直れない」 だから「海外で働こう」に賛否両論

記事の中で紹介しているのは「米シリコンバレーでコンサルタント会社を経営する渡辺千賀さん」のブログだ。
[渡辺千賀]テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし 4/27付「海外で勉強して働こう」

実際のブログも読んでみた。J-CASTニュースで取り上げている内容はほぼ網羅していてて正確だ。渡辺さんの考えは至ってシンプルで、

1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。

ということだ。
「これまでは、1)は言わずに、2)だけ言ってきた。」のであって、従来からの考えのようである。
J-CASTニュースでは「刺激的」な内容なので賛否両論が相次いでいると紹介している。
正直な感想として、渡辺さんの主張は従来からある考え(日本悲観論はアメリカ陰謀説と同じくらい主張する人が多く、私の回りの企業経営者には「40歳まで働いて余生は海外で新しいビジネスを起こして暮らす」「自身の能力を120%試すなら海外しかない」という人達が何人も^^;)なので、さほど刺激的だとは思わないが(^_^;)、紹介されている賛成、反対それぞれの意見も含めて、私の考えと根本的にずれている点だけ述べておきたい。

日本の将来に希望が持てないから、日本以外で自分の可能性を試してみよう、という。
では世界のどこの国でも希望がなくなったら、その土地を離れるというのだろうか。
それでは、どこまで行っても、回りの環境や条件に依存した人生から脱却することはできない。
どんな状況であれ、自らが持っている可能性を発揮して、自分を取り巻く環境さえも変えていく能力がなくして、何ができると言うのだろうか。

逆境は、自らの能力を最大限に試すことができる、絶好のチャンスである。
好条件なら、多少の能力がある人なら、殆どの人が成功を収めることができるだろう。
そんな中で成功を収めたからといって、何の喜びがあるのだろうか。
それに加えて言うならば、何のために「成功」したいのか。
自己満足の域を出ることができるとは、少なくとも私には思えない。

「海外で学び、成功を収めよう」というのは、一見、困難な道を選んでいるように見える。
果敢に人生を切り拓くようなチャレンジ精神あふれるイメージも、ある。
しかし、「日本はもう立ち直れないから海外で勉強して、そのまま働こう」というのはチャレンジというよりは「利己的」「切捨て」「海外脱出」、さらに言えば「忘恩」のニュアンスを感じる。
海外で悪戦苦闘しながら自らの道を切り拓いてきた人達、またこれから海外で頑張ってみようという人達に対しても、礼を欠いていると私は感じる。
渡辺さんは「自分自身もそんなチャレンジャーの一人だ」という意識があるのかもしれないが、だからといってその行動の源泉を「日本は立ち直れない」という自分自身の見解に関連させて、回りの人達に言って聞かせる必要など、全くないと思う。
本当の意味で苦しい、けれども人として目指す道はどちらなのか。
本当に価値ある選択を私達はしなければならない。

自分達を産み、育ててくれた父母や隣人、地域に感謝し、報恩を貫く生き方。
たとえ現状がどんなに見通しが暗く、希望を持てなくなりそうでも、である。
自分が「今いる場所」で「目下の課題」に必死で取り組むことが最も尊い人生だと、私は思う。
そこから出てくる仕事への取組みは、必然的に渡辺さんの考えとは180度対極に位置せざるを得ない。

これが私の考えである。
様々な人達の意見は、日頃の自分自身の生き方や発言にブレがないか、判断する絶好の教材であり、リトマス試験紙である。自分自身の人生の方向がどちらに向いているのかを見直す絶好の機会としてほしい。
各人の判断にあって、海外の道を選ぶこともあっていいと思う。
それは個人の自由意志だ。
ただし、どこへ行っても人生を決めるのは自分自身であって、環境ではないということだけは忘れないでほしいと思う。

昔から言われていたこと。 「隣りの芝生は青い」。

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2009年4月17日 (金)

ライフスタイルにふさわしい制度の構築を 厚生労働省が医療費負担の見直しに着手

厚生労働省が高齢者の医療費自己負担率の見直しに着手したことが報道されている。
検討されている見直し案のポイントは
①65歳~69歳の窓口負担を3割から2割に
②70歳~74歳の窓口負担を現在凍結されている1割から2割に
の2点である。

確かに現行制度では70歳を境目にして3割から1割に急減するシステムになっており、1歳違いでの較差に違和感があることは否めない。
仕事をしていたサラリーマンにとっては多くの人が定年退職を迎える65歳以降も5年間3割負担が続く現行制度での不満も多く聞かれる。
見直しによって、平均的なライフスタイルに近づける形になると思う。

また現在70歳以上の方の負担は経過措置で現行を維持、その後は3段階の制度になるため移行期間を含めて個々人の実質的負担増は発生しない試算となる。
現在の2段階から3段階になれば、高齢者という呼び方をする年齢区分とも整合性が取れるようになり、医療制度への理解も進むように感じる。現行制度でも70歳になって急に医療機関への診療回数を増やすという方はいないと思うが、高齢化が進む現代社会にあって、早い年齢から医療費の窓口負担が少なくなることは、国民にとっては老後の安心がひとつ増えることにもなると思う。

そんな視点からも今後の審議の行方に期待したいと思う。

【関連リンク】
<医療費>65~74歳の窓口負担 厚労省が2割に統一検討(毎日新聞) - Yahoo!ニュース.

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2009年3月13日 (金)

青森リンゴが大量廃棄の危機 発想転換の救済に誰か乗り出せ

メディアで青森りんごの大量廃棄の危機が報じられている。
青森リンゴ 大量廃棄の危機 霜被害で加工処理追いつかず(毎日新聞)

昨年春以降の霜とひょうによる被害は過去最悪レベルになるとのこと。
地元では様々な対策を講じてきてもいる。
被害リンゴ:霜やひょうで大打撃…高品質ジュース販売や宅配業者社員に販売/青森 - 毎日新聞(2008年10月1日)
悲鳴!青森リンゴ加工業者 処理量7年ぶり10万トン超も - iza(1月23日)
キズがあってもいいじゃない…ひょう害りんご消費拡大へあの手この手 - 産経新聞(2008年11月16日)

しかし状況は芳しくなく、大量廃棄が検討されるに至っている。
報道によると、地元団体が傷つきリンゴのジュースを開発。しかし、原因は記載されていないが傷のないリンゴの需要も落ち込み、価格は前年比8割にダウン。価格下落を防ぐため、生食リンゴの出荷を制限したため制限した生食用りんごが加工用に回されるという悪循環を招いたという。2月末現在、青森県下の農家の在庫は約33万箱(1箱20キロ)になっている。その多くは廃棄に回る危機に遭遇している。
しかもジュース用の買取り価格は一箱50円とも。箱代にもならない、とんでもない価格だ。
なぜこんな状態になってしまっているのか。

あえて言いたい。
地元関係者や地元出身の企業経営者に、このピンチを救える者が誰もいないのか。
本当に手も足も出せない、どうしようもない状況なのか。
ビジネスで磨き上げてきた経営者感覚で、日本全国に名だたるブランド青森リンゴを支えてきた生産農家の窮状を救え!と訴えたい。

一箱50円という破綻状態。
県下の全在庫33万箱で1650万円にしかならない。青森リンゴ、というかりんごそのものの栄養価値だけだってそんなわけない。
10倍の買取り値にして1億6500万円。事業規模5億円の投下で採算可能な事業展開が検討できないものか。
ポイントは、どのような視点で商品化を行ない、販売流通ルートを選択し、最終的に誰に買ってもらうかだ。

商品化と販売による需要と雇用の創出にも期待が生まれはしないか。
青森県をはじめ、地元自治体も指をくわえている場合ではない。
政府与党が発表し今国会で可決された75兆円の経済対策の一部を財源にするアイデアだってあるだろう。その中の5億円程度なら、わずか0.007%だ。
※計算間違ってないよね?あまりも小さい割合なので小数点の位置が違うのかな?と不安になるほどだ(^_^;)
青森県は堂々と生産農家のために補正予算から財源を確保せよと強く訴えたい。

青森県関係者よ。
今こそ智慧を発揮し、わが故郷のピンチをチャンスに転換せよ!
それが成せるのも、地元に密着して生きてきた、庶民のなせる業である。
見事なる境涯革命に心からエールを送りたい。

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2009年3月12日 (木)

時事通信のニュースタイトルはマスメディアの自殺行為だ

マスメディアの恣意的報道、偏向性の危険は今までにも何度も指摘したことだが、昨日、目にしたニュースタイトルもひどい。

無利子国債・政府紙幣の検討表明=首相「いいことだ」(時事通信)

この記事をリンクするYahoo!JAPANの見出しに至っては
首相 政府紙幣の検討を表明】となっている。

Yahoo!JAPANの見出しだけ見ると「えっ!政府紙幣発行の検討に入ったのか!」と驚いてしまった。が、本文を読んでみるとなんのことはない。
自民党有志議員「政府紙幣・無利子国債の発行を検討する議員連盟」が、政府紙幣発行や利子が付かない代わりに相続税がかからない「無利子非課税国債」の発行を提言したことを受けて

「100年に1度(の経済危機)ということでいろいろなアイデアが出てくる。いいことだと思う」

と発言したにすぎない。
つまり麻生総理が「いいことだ」と言っているのは、「いろいろなアイデアが出てくる」ことであって、「政府紙幣発行がいいことだ」と言っているわけではない。
ニュースを配信する人間達は、もちろん、こんなことは承知している。
承知しているうえで、誤解を招くような、ただ読者の関心を惹きつける為だけに、上記のようなタイトルや見出しをつけている。

実に、低俗だ。
このような行為を低俗と言わずして何と言うのか。

そして、こうした低俗な報道姿勢が庶民レベルにも波及し悪影響をもたらす。
昨今のブログのタイトルのつけ方をみていると、興味本位のタイトルばかり。マスメディアに擬したものばかりである。読んでほしいと思う気持ちはわからなくもないが、かえって軽薄さを感じてしまうのは私だけではないと思う。
TVドラマの予告編のやり方と同じ路線上にあることを思うと、国民の多くが報道と娯楽を混同していることは容易に想像できる。

さらに、時事通信のニュース本文では上記の発言を紹介して「検討対象とする意向を明らかにした」と続けているが、この文脈もあやしいものだ。
というのは、麻生総理の考えの中に以前から、相続税免除等の無利子非課税国債の発行に類するものがあったのは事実のようであるが、政府紙幣については発行する検討が必要だと考えているかどうかは全く不明であるからだ。
他のニュースを加えて類推する範囲では、麻生総理が今回の議連からの提言の中で興味を示しているのは「無利子非課税国債」であって「政府紙幣」でない可能性が極めて高いと判断するのが妥当だと、私は思う。

しかし、マスメディアの報道は所詮は興味本位だ。
メディアにいる人間達に真剣に報道するつもりがあるのなら、こんなニュースタイトルや見出しをつけるメディア自身の自殺行為は自粛すべきだと、強く訴えておきたい。

【関連記事】
無利子国債・政府紙幣の検討表明=首相「いいことだ」(時事通信)
無利子国債発行などを首相に提言=自民議連(ロイター)
無利子国債発行を検討…首相、与党議連の提言受けて(読売新聞)

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2009年1月20日 (火)

定額給付金 議論の推移に思う

定額給付金の議論が迷走している。
誰も彼も、「言いたい放題」の状況だと思うのは私だけだろうか。

「定額給付金」に反対している人に聞くとその理由が曖昧で、聞いているそばから違うことを言い出す人が、実に多い。
・麻生首相の「さもしい」発言が許せない。
・高額所得者、特に国会議員がもらうのは理解できない。
・生活補償なのか経済刺激なのか目的がはっきりしない。
・消費税アップとセットで実施されるから。
・一時的なことで経済は良くならない。
・事務が煩雑で無駄が多い。
・多くは貯蓄に回るから。
・定額減税ならいいが現金を支給するのはいかがなものか。

いずれもこの半年余り議論されてきた内容だったり、運用や個々の事象を取り上げたり、論点がずれていたり思い込みだったりの視点に終始している。どのような施策であれ、また仕事でも地域でも家庭でもそうだが、100人がいて全員が賛同するという施策などはありえない。議論を尽くす時は尽くす。迅速な対応が求められている時は、決断を優先させる。
今はどのような時なのか。
その認識で大局に立った議論、発言が求められている。

一時期、どのTVチャンネルも新聞もこぞって大合唱していた「バラマキ」という表現は、すっかり鳴りを潜めた。
多くの人が気がついていると思うが、日本のマスメディアは元々「反権力」である。それはそれで意味のあることだが、現在に至ってはそこに恣意的悪弊的要素が増してきている。
それは
①視聴率 であり
②スポンサー収入 である。
これは相互に密接に関連していて泥沼化していると言っても過言ではないだろう。

その結果、ヒステリックなほどの政府与党批判となって現れ、具体的には野党の旗頭である民主党に異常なまでに肩入れする結果にもなる。各政党別の広告出稿料もそれを顕著に物語っている。
そうした情況に浮かれているのか、民主党の不見識な言動は目に余るものがありすぎる。
総額70兆円の経済対策の全容が果たしてわかっているのだろうか。出てくる話題は「定額給付金2兆円の別の使い道」ばかりだ。
民主、定額給付金で対案 環境と安全に重点投資(西日本新聞)
これは民主党小沢一郎氏の昨日の発言の要旨だ。
2兆円で小中学校校舎の耐震補強だとか太陽光パネルの普及と戸別所得補償制度による農林漁業活性化とか...。耐震補強の予算は別途確保されているのは周知の事実であり、太陽光パネルの設置助成は既に進行している。農家の個別補償を懲りずに言い続けているが、中長期の農業政策を議論せずして補償などしてどんな展望が開けるというのか。仮に貧窮している家庭への経済補償だというのなら、なぜ農家だけなのか。それこそ定額給付金で全国民の生活補償すべきではないのか。
定額給付金に反対するなら70兆円規模の経済対策を68兆円規模だと主張すればいい。場当たり的に思いつきで発言するから「ぼろ」が出る。小沢氏の発言はその典型だ。

昨日の国会での予算審議においても、民主党が以前から主張しているアクションプログラムの中に「給付つき税額控除」の主張があることを指摘され、答弁に立った民主党議員の発言内容は明らかにしどろもどろだった。民主党の政策を説明すればするほど、定額給付金に反対する現在の民主党のスタンスと矛盾することは明らかになった。

個々の話だけを取り上げても上記のような情況だ。
将来の日本を担うべき責任とビジョンなど求めることなどできようはずがない。
世界のトヨタがマスメディアの不見識ぶりに激怒し、広告出稿を止めようかと発言したことは、現状を端的に表した事例でもある。

このテーマは様々な側面を見せる多要素を含む問題である。
短絡的に「賛成か反対か」と発言すれば思わぬ角度から攻撃されることが多々ある。
個々の要因別に議論もできるが、相当の時間と労力を要する。
そんな国会議事堂の中だけで「ああでもない」「こうでもない」などとやっている間にも、私たち庶民は日々の資金繰り、生活費の遣り繰りに悲鳴を上げている。
3ケ月以上殆ど仕事がない、12月以降昨年の半分以下の仕事量になった、週4日勤務になった、定期預金を切り崩した、自家用車を売却しようか、朝早くから深夜まで疲れ切った体で悪戦苦闘している、等の話が毎日のように入ってきている。
当初、年度内実施と言われていた定額給付金に年度末の遣り繰りの望みをかけている中小零細企業の経営者だって、事実何人もいるのだ。家族の子供の支給予定分だって事業資金にせざるをえない親の気持ちを少しでも考えてみろと、私は言いたい。
余裕のある人は、貯蓄にでも、外食にでも、地デジチューナーにでも、自由に使えばいい、と私は思う。それぞれの家庭、個人には、それぞれの事情があるからだ。
貯蓄になるから意味がない、なんてどうしていえるのか。
貯蓄に回れば、金融機関が潤うではないか。
事務の煩雑さは工夫して効率化しなければならないが、その人件費が発生すればそれで収入が増える人だっている。臨時雇用しようという自治体だってある。
一面的に反対することは、誰にだってできる。
しかし、敢えて言いたい。
誰のための議論なのか、と。

「いま大切なことは何か」を今一度、言っておきたい。
それは、迅速な審議と決断である。
そして一度決定したならば挙党一致してその遂行にあたることである。

【関連記事】
民主党、給付金に「対案」出すも…(ココログニュース)

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2008年10月 8日 (水)

こんにゃくゼリー窒息死事故の本質は何か

こんにゃくゼリー製造最大手のマンナンライフは今月7日、7月に1歳の男児が窒息死した同社商品・ミニカップ入りこんにゃくゼリー「蒟蒻(こんにゃく)畑」の製造中止を決め、卸売各社に通知した旨が報道されている。

この措置の理由としてマンナンライフは「警告マークを大きくするなど行政(農林水産省)に要請された改善策に応じられないため」としている。また「商品が危険だから製造中止にするわけではない」ということで自主回収はしないのコメントも報じられている。

個人のブログ等をみてみると農林水産省の指導に対して概ね批判的、マンナンライフに同情的な意見が主流のようなので、一言書いておきたいと思う。
私個人の意見としては、農林水産省の指導も、マンナンライフの措置も妥当であったと感じている。これは2007年5月に死亡事故が公表された際に当ブログでも指摘してきた通りである。
→《こんにゃくゼリーで窒息死の報道にどう対応?(2007/5/23付ブログ)

さらにいえば今回のマンナンライフ社の姿勢には少なからずの不満がある。
最初の事故からは相当の時間が経過しており、遅きに逸した感が否めない。
同社コメントからは「本意ではないが行政のせいで製造中止する」「我々メーカーや商品自体に何の問題があるのか」という不承不承対応したという姿勢が明白だ。だから事故になった当該商品一品のみしか製造中止にしないのだろう。本当に納得しないのなら対応しなければいい。「弱みを見せたくない、自社の強気の姿勢を崩したくないが、今後何かあったら面倒だ」としたらこんな対応になるだろうというような勘ぐりも出てくる。
死亡した遺族の方々は、激しい怒りを感じているに違いない。

確かに製造中止すればそれでいいのかという問題もある。
子供が喉に詰まらせないのは保護者の責任だというもっともらしい意見も多い。
しかしこんにゃくゼリーは、元々存在する食品形態ではない。
こんにゃくメーカーが自社が取り扱う原材料を使った新商品が開発できないかと考えて、市場に出してきた独自商品である。
また、死亡事故で亡くなったのは子供だけではない。高齢者もこんにゃくゼリーを喉に詰まらせて死んでいる。
これは自己責任だと言って片付けてしまって良い問題だろうか。

他のブログ等での発言を見ていて気になるのは、どうも一面的にしか物事を見ない人が増えているのではという危惧だ。
たとえば「喉に詰まらせて死亡している食品は他にもあるのに『こんにゃくゼリー』だけが危険視されている」という論調がある。例として取り上げている食品が「もち」である共通点があり、だれか最初に記述したコメントに多くの人が同調したのかもしれない。
確かに餅を食べて死亡する人も後を絶たない。その意味では餅製造業者への喚起を促す必要があるかもしれない。
しかし、大きく異なる点がある。
それはこんにゃくゼリーには、類似した大きなゼリーという商品市場があることだ。こんにゃくゼリーはこのゼリー市場の一部ともいえる。この元々の「ゼリー」の食べ方として、あまり噛まないで呑み込むシーンが多くあるという状況が存在している点が大きく違う点である。
元々存在する「ゼリー」と同じような食べ方をして死亡するという悲劇が生まれているという状況を正確に認識しなければならない。事実、私の家族も普通のゼリーだと思って「こんにゃくゼリー」を買ってきたことがある。こんにゃくゼリーを呑み込んで食べると子供だけではなく大人も窒息する危険があるということを知らない人も多い。
そして、問題なのは一度喉に詰まってしまうと水を飲んだり、逆さにしても排出しにくいという点も挙がられている。
事件の記憶は簡単に風化する。何らかの形で商品購入時の注意喚起を行なうべきという指摘にはそれなりの妥当性があるのではないか。
もちを喉に詰まらせるのとは状況が明らかに違うことをよく理解すべきだろう。

厚生労働省は「製造を中止しろ」と要請しているのではない。
一般の「ゼリー」と違って、「こんにゃくゼリーは噛まないで呑み込むと喉に詰まらせて死亡する危険がある」ということをもっと購入しようとする一般消費者にわかるように告知してほしいという趣旨である。
他のブログ等での発言ではこの点を勘違いしている者さえいる。

製造者の立場としてすべきことは
①消費者に「正しい食べ方をしないと死亡に至る危険がある」ことをはっきりとわかる形で告知する
②消費者がメーカー側が想定していない食べ方をしても危険が発生しないように商品を改良する
という処置を講じる必要があると私は感じている。
マンナンライフと事件にあった購入者のどちらに責任があるのか、というような問題ではないと私は思う。
それぞれがそれぞれの立場でよりよき関係を目指して努力すべきではないか。確かに「行なう必要はない」という意見もあるだろう。それはそれとして一つの意見だ。だから厚生労働省も強制力のない「要請」というお願いで留めているのだと思う。

私も食品製造販売に関わる者の一人として自戒を込めて申し上げたい。
食に関わるというのとは、生死に関わるということだ。
製造者自身の目の前で、目の届く限られた範囲で食べていただける環境なら、まだいい。
しかし流通にのせて、より多くの消費者の皆様に食べていただくということは、予測不可能な事態が発生するという事業選択を行なったということだ。
そうした不測の事態が発生した時には、その当事者として被害を被った消費者の立場に立って、最善の措置を、迅速に、最大限の誠意をもって対処するしかない。

それができないのであれば、小さく、目の届く範囲で商売することだ。
マンナンライフの今回の対応は、昨今の食の安全の問題と同根である。
今回の対処についても、厚生労働省やマンナンライフが「事故を起こした消費者の自己責任である」という発言をしたとしたら、それはそれで大きな問題になっているだろう。
多くの人達の利害が絡み、関係する人の立場が複雑になっている現代においては、大多数の賛同を得る対応が見つからないことも多くなってきている。
どのような処置、態度をとっても賛否は激しく巻き起こるだろう。

私たち庶民は賢明な目で、物事の本質を見抜いていくことが求められている。

【関連リンク】
<こんにゃくゼリー>マンナンライフが製造中止(yahoo!毎日新聞ニュース)
こんにゃくゼリーで窒息死の報道にどう対応?(2007/5/23付ブログ)

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2008年9月17日 (水)

汚染米流通先公表に対する反応 物事の本質を見失うな

三笠フーズの摘発によって実態が明らかになってきた事故米穀(汚染米)不正転売問題に関して、農林水産省の調査を元に政府は今月16日、新たに外食産業を含む375の流通先を公表した。
汚染米の流通先一覧(政府発表)はこちら

東京、千葉から西の日本列島の半分以上に広がる汚染拡大に、多くの人は驚きを隠せないに違いない。しかし長年にわたって、ある意味で米業界内では「あっても決して不思議ではない」黙認行為だったのではないだろうか。
何段階もの転売を重ねる米売買によって、トレーサビリティは全く判らなくなってしまう。しかしその転売によって決して少なくない業者の利益を生んでいた。
日本の農業、米の悲劇はこんなところにあるのだ。

政府による流通先公表という行為に対しての様々な反応には思いを複雑にせざるを得ない。今回の公表は必要であったという国民世論が大勢を占めるだろう。その一方で「事故米だと知らなかった善意の第三者である末端業者までなぜ公表するのか」という業者の立場での反論も当然起こってくる。仮にそのような理由によって公表を見合わせたとしたら、今度は消費者である国民の多くは政府、農林水産省の対応を一斉に非難するのは間違いないだろう。
ひとつの決断、行動を起こした時に賛否両論が出ているのは必然である。問題がより多くの人達に関係するとあればなおさらである。

事故米と知らずに購入した多くの商店、事業者は、「お客様に申し訳ない」「健康被害が出ていないか心配」と痛めた自身の心をさらに自分から先の人達に回し向ける。
その一方で、公表によって売上が激減するなど被害を蒙ったのは事情を知らされずに事故米を買わされた自分を含めた事業者だと主張する人もいる。その怒りの矛先は流通先を公表した政府、農林水産省に向かっている。

農水省の調査に販売先10社の実名を明かさなかった三重県四日市市の食材卸業「ミルズカトウ」の加藤芳男社長(49)は、三重農政事務所などを相手に訴訟を起こす考えを表明。社長は「公表された店は売り上げが落ちる。農政事務所の職員に『会社や販売先がつぶれても公表する』と言われた」と憤った。(MSN産経ニュースより転載)

その人その人の立場にあっては、その主張が最も重要な行為なのだろうと思う。
こうした非常事態に直面した時に、その人自身がもっている生命の基底がどこにあるのか、行動思考の基準がどこに置かれているのか、端的に現れてくる。

そしてもうひとつ、忘れてならないのは、こうした業者名公表という関心の高い出来事に目を奪われて事件の本質を見失わない私達の姿勢が大切である。
とかく日本人は熱しやすく冷めやすいと揶揄されがちだ。
大切なことは、
この事件が突発的なものなのか構造的なのか。
事件の本質的原因は何か、またどこがその発生温床になっているのか。
応急措置と恒久対策は如何にして講じるのか。
--こうした次を見定めた前向きな対応が求められている。

【関連リンク】
汚染米の流通先一覧(政府発表)
【事故米不正転売】「まさかうちが…」外食産業は困惑(産経新聞ニュース)
汚染米 外食産業にも“飛び火” 公表、戸惑いと憤り(Yahoo産経新聞)
複雑な流通ルート 隠蔽と価格高騰の一石二鳥(IZA!)

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2008年9月 8日 (月)

事故米転売事件 農林水産省の責任は重い

米卸売加工会社「三笠フーズ」による、汚染された事故米穀の食用転用事件で大きな衝撃が広がっている。この偽装行為は昨日今日始めたことではなく、約10年前から恒常的に行なわれていた疑いが濃厚だ。
どうして食品偽装が跡を絶たないのだろうか。
今回、三笠フーズが食用として流通させていた事故米は、殺虫剤メタミドホスが混入したもの、自然界で最も発がん性があるとされているアフラトキシン(発がん性のあるカビ毒)に汚染されたものなどである。いずれも残留基準を超えたものであり、本来は工業用など非食用として厳しく管理されなければならないものである。

このような米がなぜ食用に偽装されて流通してしまっているのか?
今回問題になっているのは、国が世界貿易機関(WTO)の協定に基づくミニマム・アクセス(最低輸入義務)枠で輸入した米である。
事故米の相場は、食品加工用米の流通価格の5分の1程度で安価といえようか。工業用の糊などに使われることを考えれば妥当な価格かもしれないが、それは「事故米」ゆえの価格である。
国際的な分担として汚染米を国内に持ち込む農林水産省には、健康被害が懸念される危険物として最終段階でどのような用途で消費されるのか、厳重に管理する責任があるはずだ。
メディア報道をみる限りでは、そのような厳重管理など全くされていない。民間企業に売却されたあとは知らぬ存ぜぬである。

三笠フーズの企業責任が重大であることはいうまでもないが、農林水産省の管理責任はそれ以上に重大である。

【関連リンク】
三笠フーズ事故米穀の販売先企業名(農林水産省・報道発表資料)

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2008年5月28日 (水)

ザ・スクープ(鳥越俊太郎)にみるメディア報道の実態

5月18日(日)に放送された「ザ・スクープSPECIAL」の報道内容の真偽が物議を醸している。
この日のスペシャル番組では第一部で北九州八幡東病院での看護師による認知症高齢者への虐待疑惑事件を取り上げ、第二部として鳥越俊太郎氏が在日米軍再編の真の狙いは何かという視点で緊急現地取材と銘打って嘉手納基地のF15E戦闘機の配備についてスクープとして報道した。

公式Webサイトでは映像版権等の事情があり配信を行わないとしているので元映像を確認することができないが、産経新聞ニュースのコラム欄で段潮匡人氏が鳥越氏の以下の発言を引用している。
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ミサイルを8発積んでるんですけど全部、空対空なんです(中略)空中戦しかないんです。ということは日本でいま考えて空中戦をするような現実にあるかというと、中国も来ないでしょうし、北朝鮮だって、そんな立派なもの持ってないし、F15って結局何のためにあるかって言うと、アフガニスタンだとかイラクとか、そして将来のイランのためにあるんだ。そう考えると(中略)米軍って日本の安全のためにあるのかしらという疑問が頭の中をかすめる...
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この発言が事実に基づいて考察されたものかどうかは断氏のコラム【スクープと称した勘違い】にも書かれているし、関心のある方は各人で確認していただきたいが、「総力検証」と銘打って派手に宣伝するほどの立派な検証などできていないということははっきりと言えるだろう。
鳥越氏がこうした事実誤認報道の指摘を受けるのは、今回が初めてではない。
鳥越俊太郎氏に限ったわけではないが、それなりに名の通ったキャスターとかジャーナリストと言われている人であっても、確固たる裏付データがないまま、マスメディアで発言をすることが、多々ある。

いかに一部のメディア報道がいいかげんであるのか。
しかし私達、多くの視聴者は、いいかげんな報道としっかりとした報道を見極める基準をもっていないのが悲しい現実だ。
しかし、ある程度は判断する基準を有することができると私は思う。
それは、そうした報道が「何らかの意図をもっているかどうか」という点だ。
今回の「ザ・スクープSP」も、報道したい「結論まずありき」で、その意図に沿った事実を収集しようと取材をしたであろうことは容易に想像がつく。サイトの説明からみても、在日米軍は日本の安全保障のために動いているのかという点に疑問を投げかけたかったのだろう。
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在日米軍経費の日本側負担(思いやり予算)に関する現行日米特別協定が3月31日に期限切れに。(4月25日国会で承認)高村外相は「日米関係、アジア太平洋地域の平和と安定に重要な意義を有する」と承認を求めていたが、野党から「説明のつかない負担がある」として反対論が浮上した..(Webサイトより).
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こうした偏向した取材姿勢が、誤報や冤罪報道、ひいてはメディア報道被害を生む悪の温床となる。
これは、メディア報道だけの話ではない。
私達一人一人の生命の問題でもある。
人と人との対話にあっても、世間の事象を判断するうえでも、偏った色メガネをかけることなく、物事の本質を素直に見抜いていく自分でありたい。
そんなことを感じる出来事である。

【関連リンク】
産経新聞ニュース コラム【断 潮匡人】スクープと称した勘違い
テレビ朝日 ザ・スクープ オフィシャルサイト

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2008年5月 3日 (土)

絶対に許せない 船場吉兆で食べ残しを他の客に

言語道断だ。
お客様が食べ残した料理を、別のお客様に使い回すなどということは、飲食に関わる者として、絶対に行なってはいけない卑劣な行為である。
しかもそれが高級老舗料亭で行なわれたとすれば、驚きを通り越して激しい怒りを覚える。
これが今の日本の飲食店経営者の現実なのか。
そうではないと力強く断言できる経営者を一人でも多く輩出するしかないと痛感する、痛ましい事件である。

【関連リンク】 食べ残し別の客に 刺し身やアユの塩焼き 船場吉兆(産経新聞) - Yahoo!ニュース.

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